浅草の浅草寺から、歩いて10分くらいの場所に、伊能忠敬 と 高橋至時 の二人が静かに眠る源空寺があります。
この辺りは東京都内でも、比較的静かな場所です。
源空寺は決して大きなお寺ではありませんが、きちんと手入れされた美しい庭を持っています。 |
源空寺は浄土宗の寺で、明暦3年(1657年)の大火で浅草に移転するまでは湯島にありました。
開山した円誉は、天正18年(1590年)湯島の草庵で多くの信者を集めていたと寺伝にあります。 慶長9年(1604年)に家康は、寺地と法然上人源空の名にちなんだ源空寺の号を円誉に与えました。 |
二代将軍秀忠・三代将軍家光も円誉を重んじ、家光は家康・秀忠の供養のために寛永13年(1636年)に銅鐘を寄進しています。 銅鐘には、家康の号「大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士」と秀忠の号「台徳院殿一品大相国公」が刻まれています。 鋳造者は椎名勝十郎藤原義定です。椎名氏は代々徳川将軍家の御用鋳物師として仕え、数々の名品を手掛けました。 |
忠敬が文政元年(1818年)に亡くなった時、遺骸は遺言により高橋至時の墓と並べて葬りました。 また髪と爪は伊能家の菩提寺である、佐原の 観福寺 に葬りました。
右の写真のように、二人の墓をの間には灯籠が1つ立っております。 コメント付きの写真は ここ です。 |
東岡高橋君墓とあります。 | 東河伊能先生之墓と読めます。 | |
墓地のそばまで、ビルがひしめくように建っています。 忠敬と至時は現代のこのような状況を見て、天国で何を話し合っているのでしょうか。 |