平成11年11月1日(第5号)

仏教語一口メモ

<無念>

・・・・・イヤー残念。もう少しで一等賞だったのになあ。一字違いでただの紙切れだ。うーん、残念無念。・・・
なーんて幸運を逃したときには誰もが口にしますよね。

浅野内匠頭も、さんざん侮辱されて、じっと我慢の末、ついに堪忍袋の緒が切れて、吉良上野介に切りつけましたが、背後から抑えられてしまい討ち果たすことができずに『無念である』と呟いたとか。

この無念という言葉も、実は仏教語。よんで字のごとく「念がない」のですが、何の念が無いのかと申しますと、「妄念」という念が無いのだそうです。
妄念というのは、煩悩のこと、その煩悩が無いということは、悟っているということ。
・・・・としたら、私たちが普段使っている「無念」というのとはちょっと違うんじゃありませんか。私たちは、むしろ、悔しい思いを「無念」といっているのですから。

むかし、ある高僧が一人で静かに坐禅を組んでいたそうです。そこへ絶世の美女が通りかかりちらっと高僧を見て、立ち止まりました。と、それからというもの高僧の心はみだれて坐禅をしていても少しも落ち着きません。そこへ同年の高僧が来て、その様子を見て、すぐにその理由を見抜きました。

「懸想されましたな」
「一向に」
「正直に申せ。念が残っているのであろう?」
「いやさ。わしはその、念など残っておらぬ。この通り無念である」




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