平成11年7月1日(第3号)
お盆特集  お盆のいわれ 施餓鬼のいわれ
<お盆って?>

お盆お盆とむかしから言いならわされていますが、実はサンスクリット語の<ウランバナ>の漢音訳<盂蘭盆=うらぼん>がだんだん略されて単に<盆>といわれるようになったのです。 <ウランバナ>というのは、「倒懸苦」と訳されています。 「さかさまに吊り下げられている苦」という意味で、これには次のようなエピソードがあります。

お釈迦様の十大弟子のひとりに、神通第一と言われる日蓮尊者という方がおりました。 尊者はある日、亡母のことが気にかかり神通力で冥界をのぞいて見ますと、 お母さんは餓鬼の世界に堕ちて苦しんでいるのが見えました。物を食べようとすると炎となって口に入れられず、水を飲もうとすると器から刃が飛び出してきて飲むこともできず、げっそりと痩せおとろえ、見るも哀れな姿をしているのでした。

尊者は驚き悲しみお釈迦様のもとへ飛んで行き、泣く泣く事情を話し「どうしたら母を救うことができるでしょうか」と教えを乞いました。

お釈迦様は、「おまえのお母さんが餓鬼の世界に堕ちたのは、生前人々に施しをしなかったからだ。自業自得で仕方のないところだがおまえの孝心に免じてよい方法を教えてあげよう」と言って次のように教えました。まず、十方の安居の僧に百味の供養をすること、つぎに十方の仏を供養すること、次に多くの貧しい人々に供養すること、そしてダラニを唱えること。

尊者は教えられた通りに十方の安居僧、十方の仏、多くの貧しい人々に百味の供養をしたうえ、一生懸命にダラニを唱えました。供養が終わって再び神通力をもって冥界をのぞいた日蓮は、そこには亡母の姿を見ることはなく、遙か彼方に重度を指してもぼっていく清らかな母の姿を見ることができた  ということです。

これは「先祖のために大勢の人に布施をする」ことにより修善の結果、先祖の諸精霊が成仏するとの行事になったのです。そして供養する際にいろいろな食べ物を載せた器を"盆"というようになったのです。



<施餓鬼って?>

たいていのお寺では、お盆の月に「施餓鬼」の行事をします。 ですから施餓鬼とお盆とは関係があるように思われるかも知れませんが、実はあまり関係ないのです。 施餓鬼は本来、毎夕行われるべきもので、むかしは朝夕の勤行に必ず行っていたのです。 いつの頃からか、施餓鬼の餓鬼と、お盆の餓鬼とが混同されてお盆の行事と結びついて年に一度の大行事となったのです。

むかし、お釈迦さまの弟子に阿難尊者という方がおりました。尊者はたいへん努力家で、寝る間も惜しんで修行に励んだということです。ある夜、いつものように修行をしておりますと、ふと、隅の方で誰かがじっとこちらの方を見ていることに気がつきました。尊者はしかし気にもかけずに修行を続けました。

十日程もそんな夜が続いたあと、隅の方にいた者がだんだん近づいてまいりました。さらに十日程たった頃には、その姿がはっきりと見てとれるほどになりました。それはとても醜く恐ろしい姿をした餓鬼でした。その餓鬼が、毎夜現れては、ジワリジワリと尊者の方に近づいて来るのです。そして、すぐ目の前に迫った餓鬼は尊者の顔をのぞいてニヤリと笑い、「おまえの生命もあと二週間じゃ。イッヒッヒ」と言うではありませんか。尊者はびっくりしてお釈迦さまの所へ行き、わけを話しますとお釈迦さまは頷きながら聞いておりましたが、「お前がこのごろめっきり痩せて生気がなくなってきたのでよもやとは思っていたが、やはりそうであったか。お前は餓鬼に取り憑かれているのだ。このままではお前の命があぶない。」といって"水施餓鬼"の作法を授け、これを唱えれば餓鬼はたちまち退散し、お前は命を永らえるであろう、と言いました。

尊者は、教えられた通りに沢山の供物を餓鬼たちに供え、ダラニを唱えながら作法を行いました。すると、大勢の餓鬼がぞろぞろと集まり、その供物にむしゃぶりつきひとつ残らず平げると満足そうに引き上げて行きました。その中にはもちろん例の餓鬼の姿もあったということです。その後、餓鬼は姿を見せることもなく、尊者は元気を取り戻し長寿を全うしたということです。

今では大勢の餓鬼に施すことにより私たちの先祖が守られ永遠に安らかであれと祈る行事となっております。




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